INTERVIEW #003

友利 新さん

医師

皮膚科・内科医。沖縄県宮古島出身、東京女子医科大学卒業。研修医時代に第36回準ミス日本を受賞。現在都内2か所のクリニックへ勤務するかたわら、美容と健康を医療として追求し雑誌・TVなどで活躍中。著書に『28日サイクルできれいになる美肌暦』(青春出版社)、『キレイをつくる朝の習慣』(KKベストセラーズ)、『現役医師がやさしく教える「病院のことば」』(小学館)。

「“やりたいかやりたくないか”が1番問題」

Q.子供の頃の夢はなんでしたか?

保育園の頃の夢はダンプカーの運転手
(父が大きい車に乗っている人は偉い人だと言っていたので)
その後は覚えていませんが歌手になりたかったみたいです。
中学生頃から洋服が好きでファッション関係の仕事につきたいと思っていました。

Q.どんな子供でしたか?

女子と人形遊びをしていたかと思えば、男子と基地を作って泥だらけになって遊んだり、
1人でいる時は「もし、こんなことがおこったら」みたいな妄想?想像?をして
物語を考えたりと結構変わった子だったと思います。

Q.いつごろから現在のお仕事をする夢をお持ちでしたか?

中学校くらいからファッション関係の仕事に興味があったのでその道へ進もうと思っていたのですが、
中学校三年生の時に子宮内膜症という病気になり治療副作用で体重が10キロ以上増え、顔中にきびだらけになってしまいました。
大好きな服もきれないし、きても似合わない自分にかなりショックをうけ、せっかく病気を治そうと思って治療したのに、
また新しい病気にかかってしまったような気がして途中で治療をやめてしまいました。

その後はいろいろなダイエットで拒食症になってしまったり、
自己流のスキンケアで益々ニキビが悪化してしまったりと、高校時代は最悪な健康状態でしたが、
その副作用を直すきっかけをくれたのが女医さんでした。

綺麗になるためには健康じゃなくてはいけないと言われ、食事指導やスキンケアの指導をしてもらい、
元の自分に戻れた時に、病気を治すだけではなく、人を綺麗にしたり、
健康な人を病気にさせないようにする医師になりたいと思って医師になる事を志しました。
その後、大学に入学し医師免許を取得して医師になりましたが、もっと美容医療や予防医療を色々な人に知ってもらいたいと思い、
大学病院を離れ一般病院に勤めながら、マスコミのお仕事もさせてもらうようになりました。

Q.学校で学んだことで実際今、役に立っていることってありますか?

チームワーク。ずっと部活をしていたので先輩や後輩などの人間関係を円滑にしていく方法は学べたと思います。

Q.またはもっと学校で、こんなことを学ぶべきだったと思うことはありますか?

留学しておけばよかったと思います。
留学の話はあったのですが、当時は友達と離れ離れになりたくなかったので諦めましたが、
今思えばあの時に語学の勉強をしっかりしておけばよかったと思っています。

Q.そこから現在に至るまでの道のりはどんな感じだったのですか?

医師になるためには医学部に進学して6年間学び、医師免許を取得しなければなりません。
大学生活といっても朝から夕方まで授業や実習が詰まっていました。
ただ、いろんな経験がしたかったので学校が終わったら、医学部以外のお友達と遊んでいる事が多かったです。
そこから、違う刺激をもらっていました。

医師になって大学病院で研修医をしていた時には当直などで家に帰るのも、
お風呂に入るのもなかなか出来ないくらい忙しかったです。
後、自分の力不足を感じる事が多く、1人トイレで泣いていた時もありました。
でも、その下積みのなかで尊敬できる指導医の先生や信頼できる同僚に出会えたので、
私の人生の中で1番充実していた時期でもありました。

Q.夢をあきらめそうになったことはありますか?

医師という職業が自分には向いていないのではないかと思い、何度も諦めそうになった事があります。
また、マスコミに出させてもらうようになってすぐの頃は批判的な意見もあって、
立場的に本当に良かったのかと思う事が多かったです。

Q.経験から学んだことはなんですか?

マスコミに出ることに迷いを感じていた時に、「1人の医師が1日に診察できる患者には限界があるが、
マスコミの力を借りるともっと多くの患者さんに有益な情報を発信する事が出来るんだよ」
と言ってくれた先輩のひと言で、この道で頑張っていこうと決心しました。
職業に元々向いている向いていないではなく“やりたいかやりたくないか”が1番問題だと気づき、
たとえ知らない人からあれこれ言われても、自分の信じた道を行けば良いのだと思いました。

Q.また独立するまではどんな過程があったのですか?

医師の立場から色々と発信していくためには、
マスコミに出なくてはと漠然と考えていた時に姉がミス日本コンテストへ応募してくれました。
その時に隼ミス日本に選ばれ、これをきっかけに色々なメディアで取材を受けるようになりました。

Q.夢を叶えてからは、順調でしたか?

最初は深夜番組とかちょっとコスプレちっくなお仕事ばかりで、
私が望んでいた医師として綺麗と健康について発信していく!という事からはとても遠く、
こんな事ならマスコミに出ない方がいいのではないかと思うこともありました。
しかし、美容医療や予防医学がだんだんと注目を浴びるようになって徐々にマスコミのニーズも生まれてきたので、
今はクリニックの診察と雑誌やテレビのコメント取材を両立してやらせてもらっています。

Q.原宿にはじめて来たのはいつですか? そのとき思った感想は?

中学生の時。姉と2人で当時愛読していた雑誌(mcシスターやCUTiEなど)を片手にいろいろなお店を回りました。
当時の原宿の印象は、おしゃれな人がいっぱいいて、まるで雑誌の中のようだなというのが印象でした。

Q.あなたにとって原宿はどんな場所ですか?

宮古島にいたときからずっとあこがれていて、東京に来て初めて行った街が原宿だったので今でも大好きな場所です。
色々な流行が生まれる場所で、東京でも1番エネルギーがある場所だと思います。

「チャンスをつかむコツは、自分の夢を熱く語ること」

Q.“夢”とはあなたにとって、どんなものですか?

一歩先にあって追いつくために努力するもの

Q.夢の仕事を実際の仕事として一番すばらしいこと、また一番難しいことは?

また次に挑戦したい事が出てくる事。
患者さんが健康になって、綺麗になっていくのを近くで見られること。
難しいのは患者さんとの距離感を保つ事。
あくまでも主治医なので年上の人にも厳しい意見を言わなくてはいけないので、
気分を害されないように慎重にしています。

Q.今までこの仕事をして、一番感動したことは?

先生のおかげで症状がよくなりましたと患者さんが笑顔で報告してくれた時や、
実際には診察していなくても、テレビや雑誌のコメントを見て
病気や治療のきっかけになりましたというメッセージを頂いた時。

Q.「○○がなかったらこの仕事をしていなかった。」○○になにを入れますか?

家族と友人

Q.夢を実現するために一番大切なのは「運」ですか?「努力」ですか?それともほかの何かでしょうか?

運も努力ももちろん必要ですが、周りの理解とサポートが一番大切だと思います。
私の場合は、くじけそうになった時、家族から「あなたなら大丈夫」という言葉と、
宮古島の友達から「もし何かあったら、いつでも帰っておいで」という優しい言葉があったから、
夢実現のために頑張ってこれたのだと思います。

Q.チャンスをつかむコツってなんだと思いますか?

常にアンテナを張っておく事。人との出会いを大切にする事。自分の夢を熱く語ること。

Q.あなたが、これから目指すものは?

もっと多くに人に美容医療の素晴らしさと、予防医学の大切さを知ってもらいたいと思っています。
健康でなければ綺麗にもなれないし、メイクやおしゃれも楽しめないですから。
最終的には故郷の宮古島に滞在型の美容医療施設を作りたいと思っています。

Q.これから貴方のような仕事をしたいと思っている人へアドバイスはありますか?

たくさん苦労はあるけれどその分感動もいっぱいある仕事です。
途中でくじけそうになってもその事を思って頑張ってください。

Q.夢を持ってこれから原宿に来る女のコに、ひとことお願いします。

夢を実現させたいと思っている人が多く集まる原宿には、それだけのエネルギーがいっぱいつまっています。
目指す道は違っても、ここで出会った仲間と夢を語り合って支えあって、あなたの夢を実現させてください。

友利 新さん

医師

やりたいか、やりたくないかが1番問題。

PELIさん

スタイリスト

知識があれば自信にも繋がる。

板橋よしえさん

Candy Stripper デザイナー

子供の頃。いつもいつも服のことばかり考えていた。

pisture

Welcome to my site.

HARAJUKU STYLE COLLECTION official website